「家の記憶と、」
COLUMN No.6

祖父母のワルツ

家にまつわる記憶や思い出、住まいや暮らしへの想いなどを、さまざまな人の自由な視点で語らうコラム『家の記憶と、』。 第5回目の語り手は、長崎市で〈デモッソ・ノット・キーノ〉を営む豊島崇さん。喫茶店であり、古道具店でもあるデモッソは、喫茶としての姿勢にも、古道具たちの佇まいにも、“オシャレ”のひと言では片付けたくないような味わいや奥行きが感じられます。そのルーツや背景について……豊島さんが語ってくれた家の思い出から、垣間見えるものがありました。

 


 

「祖父母のワルツ」

私は今までに8回引っ越しをしている。8回引っ越しをしたということは、9軒の家を放浪していることになる。
様々な理由で8回も引っ越しをして、短い時は3ケ月しか住まなかった家もあり、思い出がない家や、かなり時間をかけないと思い出せない家もある。

そんな中、「家の記憶」を呼び起こし、一番記憶に残っていて思い出深い家を思い起こしてみると、記憶として鮮明に、そして暖かく浮かんできたのは、自分が住んではいなかった家だった。

私は長崎市内の坂しかない、坂ばかりの町で生まれた。
小学生の頃から、そんな坂道の町で自分の家には寄りつかず、学校から帰ると実家に鞄を投げ捨て足しげく通っていたのは、実家から数分しか離れていない祖父母の家。

 

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祖父母の家は、戦前に建てられた木造平屋建てで、玄関の右脇には後から造ったような菜園という感じの庭があり、その庭は居間の縁側から見下ろせる造りになっていた。
祖母が植えた季節の草花と松や椿の木は几帳面すぎず、でも絶妙なバランスで植えられ、奥の部屋では祖父がロッキングチェアに座り、気持ちよさそうに煙草を吸っていて、その煙が雲のように縁側から草木たちが待つ庭へと流れ流れて行くのを、ぼんやりと眺めていたのを思い出す。

祖父母たちはハイカラで、朝食は必ずトーストとコーヒーと決まっていて、コーヒーは豆を挽いてサイフォンで淹れていた。
コーヒー豆を挽かせてもらうのが好きで、挽かせてもらった粉をサイフォンにセットし、お湯がポコポコ沸いて上にあがりコーヒーになって落ちてくるのを毎回楽しんだ。
祖母は食がハイカラでも火鉢が大好きで、色々な食べ物を火鉢で焼いて私に食べさせてくれた。亡くなるまで火鉢を手放すことがなく、祖父母の家に行くと必ずニコニコしながら火鉢の横に座っていたので、私と祖母はいつも火鉢を挟んでとりとめもない話をした。
その時間が大切で大好きだった。今でも祖母を思い出す時は火鉢の横で微笑む顔を思い出す。

 

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「子供の時間のスピードは親の時間のスピードだ」と誰かが言っていた。祖父母たちの生活時間の流れが子供ながらに心地よく、その家に身を置き任せることで何かしらの安心とリズム求めていたのかもしれない。

家はそこで生活していくためや居場所を確保し明確にするために必要なものだと思う。
しかし、その家に住む人があくまでも主人公であり、その人がどのような生活を送りたいのかで、どのような家に住むのかが決まっていくのだろう。

誰とその家に住むのか。一人で住むのか。猫と住むのか。代々受け継ぐ家にするのか。2階建てなのか5階建てなのか。寝室は別なのか一緒なのか。春風のように流れる時間をワルツのリズムに乗って過したいのか。

まるで家は本のようだ。

本が家であり、文章が住人。

どのような人生を物語るのか、その人生を物語る上でどんな本が必要なのか。

今回、このコラムを書くことで、「祖父母のワルツ」という物語がある家を手にしたような気持ちになった。

僕は本当に欲しい本はまだ手にしていないかもしれない。ゆっくりとたまに駆け足で自分の物語を紡ぎながら、春風のように流れる時間をワルツのリズムに乗って過せる本を手にできたらいいな。

プロフィール
豊島 崇
1974年生まれ
長崎県在住 独身
2014年よりデモッソ・ノット・キーノ店主

COLUMN No.6
祖父母のワルツ
2018.3.19