「家の記憶と、」
COLUMN No.2

衣⾷住の向こう、私を“いかす”ものを想う。

家にまつわる記憶や思い出、住まいや暮らしへの想いなどを、さまざまな人の自由な視点で語らうコラム『家の記憶と、』。第2回目の語り手は、“実感のともなう規模、持続可能なスケールでの暮らし方”を探りたいと、地域に根ざすタウン誌の編集や、〈ナガサキリンネ〉といったプロジェクトに携わってきた、編集者のはしもとゆうきさんです。


 

ひと晩のための居住空間づくり

突然ですが、キャンプが好きです。といっても、たまに出かける程度のビギナー・キャンパー(なんて言葉はあるのかしら)なのですが、天気予報を眺め、暇を見つけては、いくつかのお気に入りのキャンプ場や海辺へ出かけています。

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海に囲まれた長崎。こちらは大村湾の穏やかな海に面するお気に入りのキャンプ場

到着してまず取り掛かること。それは、テントを張るのに御誂え向きの場所探し。地面の傾斜やでこぼこ、芝の厚みや湿気の具合、日差しや風の向きを感じながら、今夜の寝床にふさわしい快適な場所を探ります。無事にテントを張ったらば、次は食事をしたり、本を読んでくつろいだりするための場所づくり。眺めのよい所に椅子を置き、板を並べるだけの簡易的な机を組み、それでは色気がないからとテーブルクロスを掛けます。ランタンやキャンドルも並べて雰囲気よく、けれども、道具は少なくコンパクトに。それがいつものお決まりです。そうしてできた“空の下の居間”に煙が流れぬよう、風を読んで火を起こす場所を決め、調理の場や、食材を置く場(虫や温度、夜露にご注意!)なんてものも、一つひとつ、こしらえていきます。
キャンプにどんな楽しみを見出すかは人それぞれだと思いますが、どうも私の場合は、この“ひと晩のための居住空間づくり”が、楽しくて仕方ないようなのです。

 

自分でつくる・考えるということ

キャンプにおける居住空間づくりには、(少々大げさかもしれませんが)創意工夫の積み重ねがあります。自らの五感を頼りに、周囲の自然や環境を観察して、「ここは安全だろう」「ここなら快適なはずだ」と、本能的に場をつくっていくこと。足りないものがあれば、そのあたりに落ちている木や、石や、別の道具で代用できないかと頭を使い、手を動かして工夫をすること。そうした行為はごくささやかながらも、鈍くなりがちな自分の身体感覚、貧弱になっていた生きる力を手入れし、鍛錬することにつながっていると感じます。“買う・選ぶ”にすっかり慣れ、衰えてしまった“自分でつくる・考える”という筋肉を鍛える……そんな感覚なのです。

かたち、重さ、硬度。石ひとつ観察するだけでも、頭がやわらかく

 

「きっと太古の昔の人たちも、そこにある自然を活かしながら、自らの手で“住処(すみか)”をつくったに違いない」。現代人のつかの間の遊びから発想するにはあまりにおこがましいかもしれませんが、今よりもうんとシンプルな世界のしくみで、衣食住をつくることのできた時代の暮らしを想像しては、憧れのような想いを馳せています。

 

いかし、いかされていることを、忘れないために

ところで、これまでに私は「自然を活かす」といった言い方を何度かしましたが、実感はもう少し違ったものです。“活かす”というと、こちらの主導のもとに自然を活用するといった風ですが、テントを張るとき、火を起こすとき、私の心に湧いてくるのは、「ちょっとココ、失礼しますね」といった気持ち。ことばにするのは少し気恥ずかしいのですが、自然に対し、地球に対し、「使わせていただく」とか「お借りする」といった気持ちが、あたりまえに湧いてくるものなのです。

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かつて人は山から木を伐る時、次の年も、その次の年も、さらには何世代先までも木を伐ることができるよう、伐る量を考え、時には手入れをし、山とつきあっていたといいます。それは“自身の営み”と“目の前にある自然”とが、どうつながり、かかわりあっているか。理屈ではなく体感で理解でき、実感をもって捉えられていたからこその、つきあい方でしょう。山に限らず、すべての自然と“まっとうなつきあい方”をし、“いかし、いかされながら”生きていた昔の人々の感覚……。キャンプでのひと時は、その感覚をほんの少し、私に思い起こさせてくれます。

普段、都市で生活をしていながら、“わざわざ”キャンプへ出かけて自然にふれることは、ともすればどこか歪んだ、皮肉で滑稽な行動かもしれません。それでも私は、衣食住、日々の暮らしというものが、何によって支えられ、何によっていかされているのか。かつてはそばにあったけれど、現代では見えにくくなってしまったそれらを、できるだけ忘れずにいたい。「家」ならば、それがどんな素材から、どのようにしてつくられ、いずれはどこへゆくのか、そこに自覚をもち、責任を負えるような生き方がしたい。そんな風に、思っているのです。

 


はしもと ゆうき / 編集者

1988年、長崎県出身。大学でデザインや工芸について学び、ニュージーランド滞在をきっかけに、2009年より、現代の社会のあり方や暮らし方を見つめ直すフリーペーパーを発行する。その後、長崎県のタウン誌「ながさきプレス」に約5年間勤務、編集長も務める。2016年秋よりフリーランスの編集者として活動。

COLUMN No.2
衣⾷住の向こう、私を“いかす”ものを想う。
2016.10.25